DANCE HISTORY OF A MAN

0025_DJ

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Dance History Of A Man
数日後、学校でディスコに一緒に行った仲間が何やら練習をしようと言って来た。

 

休み時間に指定された場所に行くとパラパラを練習している集団が・・・。

 

「オイオイ、そっちかよ・・・」

 

彼らは自分達でパラパラを作る事を試みていた。
とりあえず、その場には付き合ったが、当然興味は持てなかった。
しかし、彼らはダンスの経験がある私に質問を当ててくる。
原宿時代のブレイクダンスとディスコのパラパラでは、全く別物だという事を説明。
それでも、「出来るでしょ!」と・・・。
仕方なくその場で、友人達にしばらく付き合った。

 

数日後、先週のディスコデビューから一週間後に、当たり前のように仲間達と新宿へ。
前回と同じように早い時間帯に入店。
席取り、食事。
そして、少し余裕の出来た私達は女の子の物色など・・・笑

 

客数が少なく、色々な意味で盛り上がりが欠ける早い時間帯の過ごし方・・・他には?

 

当時、ディスコにはリクエストカードなるモノがあった。
リクエストカード
当時の東亜会館のリクエストカード/他サイトから頂きました!(発見した時はチョット感動した・・・笑)
これは、かけて欲しい曲を書いてDJに提出するものだった。DJ主体の選曲ではなくお客様主体の選曲という時代。凄い事だ!
早い時間帯は、客入りもそれほど良くない為にDJが考える曲順よりもリクエストを優先してくれる事が多かった。
勿論私は、知っている限りの黒人音楽をリクエスト。
お気に入りの楽曲がかかればテンションも自然に上がってくる!
何度も何度もDJブースに足を運ぶ・・・。
当然DJ達には顔を覚えられる。多分、「またお前等かよ~・・・」だったと思うが(笑)
こうして、だんだんDJとも知り合いになって行く。
私が始めて知人となったDJがこの時ZEBRAチーフDJの井口千治氏である。
彼は現在でも、80年代ディスコ愛好家達のカリスマとして活躍している。(先日、約30年ぶりに再会を果たしました。)
DJと知り合う事により、私にとっては重大な利点が出来た。
1.新譜の情報
2.楽曲の詳細情報
3.MIXテープの入手
4.リクエスト曲をより多くかけてもらえる
5.ディスコ業界の情報
6.意味もない優越感
こうして、DJと話が出来るようになり、業界へのステップを僅か一歩だけ踏んだ私は、
深い意味もなく、得意になってダンスフロアに出て行くのであった(笑)
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