DANCE HISTORY OF A MAN

0031_学園祭

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Dance History Of A Man
学園祭
1990年前後、学歴社会が当たり前の頃、バブル期からの流れで大学進学も当たり前の様に考えられていた。
高校3年生の私も、特に理由も無く周りの皆に合わせてか、一応進学を考えていた。

 

しかし何を思ったのか、受験には特に大切なこの秋、友人達と高校生活の思い出にと学園祭に有志団体で参加する事となった。
しかも、仲間うちで始めるつもりが、我々を慕ってくれる後輩連中まで入って来て総勢50人を超える大所帯となってしまう。中心人物の私達は彼らをまとめるのも大変だった。

 

当時、私の影響でディスコにはまってしまった仲間達は、すぐに学園祭ではディスコをやるという事でまとまっていた。やはり、只、音楽を流すだけではなく、それなりの出し物もしなくてはいけない。
当然、ダンスショーをやる事になった。

 

私にとっては中学生の頃のホコテン時代ぶりのショーケースになる。
一緒に踊る事になった仲間は、勿論初めての経験である。
ダンスは私が中心になり、仲間達に教えながら振付を進めた。

 

ディスコで遊んでいただけで、見せるダンスという事を数年意識していなかった私にとっては、久しぶりの客を意識する舞台だった。

 

参考になりうるマイケルや「DA DA」のビデオを片っ端から見まくって、イメージを固める。
感触を確かめるかのように作品を形にして行った。

 

この時の作品はマイケル・ジャクソンの影響がかなり強く、振り付けのベースは「スムース・クリミナル」、衣装は「BAD」、なぜか楽曲はマイケルのモノではなく何を使ったかすら忘れてしまった・・・笑
確か、ヒップホップでもニュージャック・スイングでもない、一発屋で終わったアーティストの楽曲だった気がする。
とにかく、メチャクチャな組み合わせだった。

 

それでも、初心者の仲間と試行錯誤しながら作り上げたが、勿論、今考えるととても見れたモノではなかった。

 

しかし、ディスコでチャラチャラ遊んでいただけの私にとって、この期間の毎日の練習と参考にしていたダンスモノのビデオチェックがダンス熱を更に加速させた。
ホコテンでの日々を思い出したという訳ではないのだが、ダンスに改めて真剣に取り組む事によって、更なる魅力を見出してしまったようだ。
この頃の空前のダンスブームも私の背中を押した要因の一つであろう。

 

とにかくニュージャック・スイングのダンスに対しても、より貪欲になり、勉強なんかそっちのけで踊りまくった。
新しいステップを求めて、六本木や渋谷のディスコにも積極的に足を運んだ。

 

夏から秋にかけての、この時期、まったくと言って良いほど受験勉強はしていない。
なのに進学する気満々だった不思議な私がいた・・・笑
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