小学生の頃、マイケル・ジャクソンがアルバム「スリラー」でグラミー賞を総なめにした。当時の音楽業界では歴史的快挙だった。
テレビ朝日で放送していた「ベストヒットUSA」でその時のグラミーの特番放送があり、番組の最後に「スリラー」のPVをノーカットで公開した。
子供ながらに衝撃的だった。PVのクオリティも、特殊メイクの技術も、音楽性も・・・特にというか、やはりダンスも。
子供ながらに衝撃的だった。PVのクオリティも、特殊メイクの技術も、音楽性も・・・特にというか、やはりダンスも。
当時、このダンスを真似てやってみようとかはしたものだが、この時はまだ、そこから深く求める事はなかった・・・
数年後、1985年5月だっけな、6月だっけな・・・
今後の人生を大きく変えたきっかけが訪れる。
今後の人生を大きく変えたきっかけが訪れる。
1歳より渋谷駅から徒歩10分という好立地に住んでいた私は、小学校4年生からバスケにはまっていた。
この年、中学2年生の私は中学校と自宅のちょうど中間地点の公園通りにあったスポーツ用品店に、仲間と一緒に良くたむろしていた。(「スポーツ・ギャラリー」だったかな?)
この年、中学2年生の私は中学校と自宅のちょうど中間地点の公園通りにあったスポーツ用品店に、仲間と一緒に良くたむろしていた。(「スポーツ・ギャラリー」だったかな?)
その日、たまたま日曜日に1人でその店に行った。特に買い物というわけではないのだが、従業員とバスケの話をするのが楽しかった。
すると、店にとてもスポーツマンとは思えない風貌の、当時の私からすれば「お兄さん」が現れ、私と特に仲の良い従業員と話している。
しばらくすると、その従業員がその「お兄さん」を私に紹介。
「お兄さん」の名はシュン。歳は20才。原宿のホコテンでブレイクダンスをやっていると言う。(今、言葉にするととてつもなくカッコ悪いなこれ・・・)
「お兄さん」の名はシュン。歳は20才。原宿のホコテンでブレイクダンスをやっていると言う。(今、言葉にするととてつもなくカッコ悪いなこれ・・・)
当時ダンサーの間で流行っていたシューレース(靴紐)を買いに来たのだが、従業員の後輩だということからすぐに打ち解けて話す事が出来た。
その時に「今度、ダンスを見においでよ!」という誘いを受け、彼は店を出て行った。
その時に「今度、ダンスを見においでよ!」という誘いを受け、彼は店を出て行った。
数日後の日曜日、同じようにスポーツ用品店に足を運び、その従業員から「シュンのトコ、行ってみれば?」と言われ、何の気なしに足を運んでみた。
代々木公園の竹の子通り(今もそう呼ぶのかな?)の歩行者天国は、あの「竹の子族」を産み、後の「イカ天」時期のバンドブームでは100以上のバンドが演奏しまくっていた全国的にも有名なストリートパフォーマーの聖地だった。
当時、観光地としても有名で修学旅行生や海外からの観光客まで、とにかく人が多かった。
当時、観光地としても有名で修学旅行生や海外からの観光客まで、とにかく人が多かった。
そんな中、踊るシュンの姿を発見。仲間約10人位でサークルを作り、更にギャラリーが50人位。
本当に衝撃的だった!生のダンスとのファースト・コンタクトである。
本当に衝撃的だった!生のダンスとのファースト・コンタクトである。
「こんな世界が、世の中にはあったんだ・・・」こう思った。