DANCE HISTORY OF A MAN

0023_パラパラ

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Dance History Of A Man
ディスコのフロアで踊りながら周囲を見回してみると、同じ振付を踊る人達を発見。パラパラだ。

 

この時期、「第二次パラパラブーム」で新宿は特に熱かったみたいだ。
正直、私にとっては何の魅力もない踊りに見えた。
原宿時代にテクニックの習得に翻弄し、試行錯誤しながら練習してきた踊りとは対極に感じたのだ。
最初は「気持ち悪い・・・」とすら感じた(笑)

 

流れる楽曲によってそれぞれ振付があり、リーダーらしき人物を中心に
ツーステップを踏みながら手振りをする・・・。
原宿にいた竹の子族とそっくりだった。それもそのはず、ルーツはそこにあったらしい。

 

バナナラマやマイケル・フォーチュナティの曲に合わせ、パラパラで盛り上がるフロアの一角で、
私は1人ヒップホップのステップを踏む。
しかし、曲がユーロ・ビートなのでマッチするはずもないのだが、どうでも良かった。

 

DJもヒートアップするパラパラ軍団を煽るように、ヒットチューンをヘビーローテーション。
私は、踊り疲れて一休みしながらボーっとフロアを見た。
何十人もが表情を変えずに同じ振付をひたすら踊っているのはある意味スゴイ光景だ。

 

チョットやってみようか・・・

 

試しにマネて、少しやってみた。

 

結構、簡単に覚えられるものだ。

 

「日本人が没頭しやすいダンススタイルの一つだな~・・・」
変に納得したが、やはりハマリ切る事は出来ず、すぐに飽きる・・・笑

 

すると曲がヒップホップに変わった。私にとっては「待ってました!」
フロアに飛び出して踊りだす。
しかし、さっきまで盛り上がっていた客達がぞろぞろと、休憩と言わんばかりにフロアから去って行った。
この頃、ユーロ・ビート全盛だった事もあるのだが、黒人音楽であるヒップホップの人気が低く、まさにパラパラ軍団にしてみれば、休憩時間に当たるのでった。

 

これが私にとっては好都合!
ユーロ・ビートが流れている時は満員電車状態のフロアが、一気に人気がなくなる事により、踊り易くなる訳だ。
更にホコテンで踊っていたくらいなので、目立つ事が大好きな私(笑)
フロアを広く使って大暴れ。しかも休憩中ではあるがギャラリーがこんなに・・・。
当時の私にとっては素晴らしい環境である。

 

調子に乗って派手に踊る。客の目が向けられてるのを意識して、さりげなくアピールをしてみる(笑)
まるで水を得た魚だった。
調子が上がってきたところで、ダンスのボルテージもワンステップ上げようとした。

 

しかし、その瞬間再びユーロ・ビートが!!

 

座っていた客が一気にフロアに溢れ出す。
「ええ~!もう終わり?」
そう、終わりなんです。客が踊らない、盛り上がらない曲はディスコではかけないのが常識。
ヒップホップ、R&B等は、DJのプライド、センスの維持の為と、一部のマニアックな客に対するサービスタイムみたいなものだった。
故に、当時風に言うブラック系は2,3曲・・・というのが当たり前だった。

 

そして、またパラパラで盛り上がる時間が続くのであった・・・

マッチ

本文とは直接関係ないが、当時各店舗で作られていたマッチを発見したので、紹介します。
現在ではあまりクラブのマッチって見ないですよね。当時は、当たり前だったアイテムの一つです。
こちらは現在本文中の現場のディスコ「ZEBRA」のモノ。
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こちらは上段新宿東亜会館「ZEBRA」「センチェリー21」、六本木スクエアビル「ビンゴ・バンゴ・ボンゴ」
「バイオ」「ネペンタ」、下段渋谷の「パラディアム」「J TRIP BAR」「スパジオ」のモノです。
マッチ
しかし、よく持ってたな~・・・こんなモノ(笑)
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