ディスコ・クラブ遊び、そしてダンスに再び火が付きそうな勢いの私であったが、そこは高校3年生。
受験に対しての意識も一応持っていたので、ダンスへの気持ちはムリヤリ歯止めをかけた。
受験に対しての意識も一応持っていたので、ダンスへの気持ちはムリヤリ歯止めをかけた。
しかし、テレビにダンサー達が登場してきた事によって、これからの時代、ヒップホップのダンスを仕事にする事が可能ではないかとも考え始めていた。
ヒップホップの文化が確立しきっていないこの時代に、第一人者になりさえすれば・・・と考えたのだ。
ヒップホップの文化が確立しきっていないこの時代に、第一人者になりさえすれば・・・と考えたのだ。
以前は、ダンサーになるなどとは微塵も考えなかったが、この頃にはブームとなっていたダンス、ヒップホップの日本における可能性も考え、どうにかして将来ダンスと携わる事に気持ちが向いていた。
無理矢理な考えではあるが、大学に入り、語学、文化を学び、卒業と同時にアメリカに渡ってダンスを本格的に習得するというシナリオを自分の中で作った。
いきなり「ダンサーになる」と言って親を説得するのも大変。ヒップホップダンサーとして活動できるようになるにはどうすれば良いのか方法もわからない。
親も納得出来るように、とりあえず進学。・・・・・・本当に甘い考えだが。
英文や国際関係学の道に進む事が当時の望みだった。
英文や国際関係学の道に進む事が当時の望みだった。
しかし、というかやはり、まともに受験に向かい合うには時期が遅すぎる・・・。
野望としての進路はあるが、大学受験の壁は大きかった。
野望としての進路はあるが、大学受験の壁は大きかった。
数ヶ月間、クラブ、ディスコ通いもガマンして、後の野望の為に勉強に励んでみたモノの見事に受験失敗!!
まあ、当たり前といえば当たり前だが・・・笑
まあ、当たり前といえば当たり前だが・・・笑
しかし、前述の人生プランは捨てきれない。ダンスに魅了されていた当時の私にとっては最良のコースだ。
というか、スグにダンスで勝負する度胸もなく、時代的にも世間体を気にしての進学。カッコ悪い考えだ。
とにかくアメリカに渡るための下準備を大学でしなくてはならないと思っていた。
大学進学は世間一般的にも決して恥ずかしい事ではないので、予備校でもう一年勉強し、再度受験にチャレンジする道を選ぶ事になった。
全てがダンスの為であった。(当時、両親にはこの考えは秘密であったが・・・)