DANCE HISTORY OF A MAN

0036_ハウスパーティー

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Dance History Of A Man
AKA&GO
全てに対して中途半端な自分・・・。
周りには頑張っているフリをしているが、それがフリだけということは自分が一番解っていた。
しかし、この怠惰な生活は続いた。

 

そんなある日、この頃通いつめていたクラブ「S.I.JOE」のハウスパーティーに行く事になる。
1990年4月24日に行われた「SUPER DANCE SESSION 1990」だ。

 

まだ業界において、どんなダンスチームがすごいとか、有名とかの知識が、私には無いこの頃、
「ホンモノのダンスに触れるチャンスだ」と、店の従業員で友人でもあるAKA氏から薦められた。
「とにかく、来い!」と・・・。
また、地元の先輩でもあるEIJI氏からも、このイベントに出るんで、観に来ないかとの誘いを受けていた。

 

今考えると、この頃のダンス業界ではありえない、スペシャルなイベントだった。
普段、別々の週にそれぞれショーを行っているダンスチームが一斉に出演するイベントだ。

 

当時は今のようなスタイルで何十チームも出演したりするダンスイベントは無かった。
というよりも、そんなにダンスチームが存在していなかった。
また、箱貸しのイベントも学生のサークルでのパーティー位なもので、
現在頻繁に行われているイベント形態も無い時代だった。

 

ゆえに、このイベントは当時としては大変なモノであった。
GQマシーン、ジャングル、ジプシー、ラッシュのショーが一晩で一気に楽しめるのである。

 

しかし、彼らのダンスを観た事がない私は「チケットが高いな~・・・」などとボヤキながら店に向かった。

 

当時、業界の事情を知らない私は驚いた。
普段の週末の集客の何倍もの人たちが集まっている。店内に入る事も出来ずに店の前に
長い行列が出来ていたのである。

 

それぞれが人気のプロダンサー集団。そして話題になっているクラブ主催のイベント。
それだけの人が集まるはずである。取材陣の数も半端じゃなかった。

 

私はこの光景を見た瞬間、何かとんでもない事が起こる様な予感を覚えた。

ハウスパーティー

イベンター、オーガナイザーが主宰するクラブイベントが少なかったこの頃は、店舗主催のイベントが普通であった。
その店によって、カラーが違う演出や趣向を凝らして当時の客を喜ばせていたのである。
この店舗主催のイベントは、プロモーションには打って付けで、各店舗の売りや魅力を存分に出し、後の集客に活かしていた。
クリスマスやハロウィン、ゴールデン・ウィークなどのイベント時に、競い合うように行っていた。

AKA

当時、この「ダンサーの登竜門」と言われていた店で、唯一ダンスをやっていた従業員AKAちゃん。(写真右)
良き相談相手というか、アニキ的存在の彼も当時の私にとって大きな存在であった。
業界の入り口を教えてくれた恩人の1人だ。
現在は業界には残っていないが、当時は横浜を拠点に活動をして、何故か渋谷の「JOE」で働いていた。
ダンススタイルは横浜スタイルバリバリのニュー・ジャック・スイングでした。
(因みに写真はS.I.JOE店内の様子。VIPとされていたソファースペース。後ろがDJブースでした。)
・・・・・・やはり当時の写真は恥ずかしいな~(笑)
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