DANCE HISTORY OF A MAN

0043_JAZZ BOO

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Dance History Of A Man
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クラブやDA DAの収録で知り合った仲間の一人、当時大学生の神谷正樹氏と、以前よりダンスグループをやろうと話をしていた。グループ名は決めていた。

 

JAZZ BOO(ジャズ・ブー)である。

 

「ACT UP」と「JAZZ BOO」で悩んでいたのだが、響きの良さで最終的に私が後者に決めた。
フジテレビのコンテスト番組はグループでの参加が一般的だったので、このグループを始動させる事とした。

 

神谷氏と私、それとササボーの三人でこの「JAZZ BOO」は始動した。

 

フジテレビのダンスコンテスト番組は、あの「DANCE DANCE DANCE」であった。
(正式には「全日本ディスコダンス・コンテスト DANCE DANCE DANCE」)
司会はダウンタウン、DA DAのZOOに当たるダンスグループはS.I.JOEでもパフォーマンスを披露していたSAM氏率いるGQマシーンだ。
(特番時代のGQマシーンは、ヨシ坊氏率いる現在の「BE BOP CREW」を母体にした九州勢と、SAM氏が中心となる東京勢との混合チームだった。)

 

実はこの特番の放送は二回目で、深夜のオンエアにも関わらず前回の放送の視聴率、評判が良かった為に今回も機会が設けられた。「DA DA」に引き続いて、ダンスブームに乗った番組の一つだ。

 

とにかく、プロダンサーへの道として大きなチャンスがまた訪れた。
内容的には1分30秒のダンスパフォーマンスをフジテレビのスタジオで踊り、それぞれ審査されるというものだ。
DA DAのコンテストスタイルとは全く違うもので、個々のダンススキルだけでなくショーパフォーマンスのクオリティも重要であった。
予選も同じスタジオで事前に行われ、通過した者達だけがオンエアされる本選に残る事が出来た。

 

とりあえず、収録日の数日前からショーパッケージに使う楽曲に悩んだ。
渋谷のレコードショップを駆けずり回って、当時流行のニュージャックスイングの曲の中から新譜を使った。
(楽曲名は覚えていないな・・・)
選曲に苦しんだ事もあるのだが、それぞれメンバーのスケジュールが合わないと言う事で練習も全く出来ない状態だった。
しかし、これは今考えると言い訳であるとしか言えない。

 

結局、練習は一夜漬け。しかも私の地元で昔からの練習場所、美竹公園で済ませた。

JAZZ BOO

1990年結成、1994年解散。
初代リーダーは神谷正樹氏。
二代目リーダーの私ことGOの下、数回メンバーも入れ替わりながらも時代の一端を担うダンスグループとなる。(なったかな?笑)
私のダンス歴の中で最も熱い時期を過ごしたグループである。
チーム名は、米スラングで、「格好つけてる奴」「スカした奴」みたいな意味。
定着するまでは、良くジャズダンスのチームかと勘違いされた(笑)
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