DANCE HISTORY OF A MAN

0074_自分に出来る事

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Dance History Of A Man
cx_kawadacho
1991年、新年に入ってすぐにCHZUKOより電話が入った。
「GOさ、MEGAMIXの練習に行こうよ!」
先日のJOEでの酔っ払い状態のSAM氏と我々の会話には彼女も参加していた。
「あの話の時、私も誘われたんだよね。私も練習したいからさ~、一緒に行こうよ!」
クラブ等で面識があっても、いくら本人に誘われたと言っても、雲の上の存在の彼らのリハーサルに、いきなり単独で乗込む度胸がない私にはナイスな誘いだった。
元々、SAM氏やCHIHARU氏と親交があったCHIZUKOと一緒ならば心強い。
初めての天上人達の練習への参加はこうして決まった。

 

練習にお邪魔する当日。
CHIZUKOと私、それと仲間の一人である女性ダンサーMASAMIの3人で、まだ新宿河田町にあったフジテレビに向かった。
当時、MEGAMIXの練習はダンススタジオではなく、番組「DANCE DANCE DANCE」のリハーサルとしてフジテレビのリハーサル室で毎日のように行われていた。
勿論スタジオ代に値する様な金銭の発生もなかったので、お金のない貧乏見習いダンサーの私には好都合。笑
憧れの面々が揃うリハーサル室にお邪魔した。

 

この時のMEGAMIXは、丁度JUN氏に代わりOHJI氏とEIJI氏が加わった時だった。
SAM、OHJI、EIJI、OZ、CHIHARU、HIROKO、KAORUの7人。(敬称略)
もし、今現在実現するような事があれば、間違えなく業界の話題を独占するような豪華なメンバーだ。

 

我々は一通り挨拶を終え、着替えを済ませて軽くストレッチをしていた。
するとSAM氏が「よーし、振付するよ!」
次回の番組収録用のショーパッケージの振付をするようだ。
OHJI氏、EIJI氏が初参加のルーティーン。私も興味深々である。

 

「お前らも、頑張って覚えろよっ!」とSAM氏が我々に言葉をかけた。
「はーい!」とリラックスした表情でCHIZUKO。
私と、同行したMASAMIは緊張した状態で、「は、はいっ!」

 

部外者の我々も勝手に振付を見て覚えて良いよ。でもって、それを練習しろっ!
という事だ。有難い!!

 

この時の振付は、その場でSAM氏が考えながら付けていった。
考えながらとはいえ、当時の私にとってはとんでもないスピードで進む振り写し・・・。
リハ室の端の方で練習の邪魔にならないように、必死に振付や彼らの動きの真似をした。

 

私は、たった4×8のユニゾンを憶えるのに大苦戦。
勿論CHIZUKOは、元々このレベルで踊っていた人間なので難なくこなしている。
それどころか、CHIZUKOの踊りを見たSAM氏はCHIHARU氏、HIROKO氏、KAORU氏に対して
「お前ら、これがお手本だよ。CHIZUKOを良く見て真似しろよ~!」
やはりスゴイ女だ・・・。

 

とんでもないレベルを目の当たりにした私は、とにかく今の自分に出来る事をしようと考えた。
「短時間で、どれだけ進むかわからない振付を全て憶える事は出来ないだろう。ならば、4×8だけでも良いから、しっかりと理解して持ち帰ろう。」と。
うろ覚えの振付で、一つ一つの動きの理屈を理解しないままで練習を終えても、この場に来た意味がない。

 

メンバー達がドンドン先に進む中、私は振付をするSAM氏の言葉を自分なりに噛み砕いて一つ一つの動きを確認するように練習をした。
正確に何時間のリハーサルだったかは覚えていないが、少なくとも3時間以上はあったであろう。
私にとっては、あっという間の時間が過ぎた。

 

この初めて参加したリハーサル、振付を通して覚えたテクニックは、一つだけ。
しかし、この一つが後に私だけでなくJAZZ BOO自体のダンスを変化させる事となる。

 

この日の収穫はウォーターゲートアップであった。

 

MASAMI

当時はCHACKY、SARA等と共に「DANCE DANCE DANCE」でもウィークリーチャンピオンになったSUPER SONICというダンスグループで活動。
私の友人のWATARUと同郷、幼馴染だった為、元々私もプライベートな付き合いをしていたダンサーである。
後にCrazy-A & THE POSSEに加入。シーンを牽引する立役者の一人となる。
現在はヘアーメイクのアーティストとして活動中。
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