ショーやバイトに明け暮れていたある日、先輩であり仲間のCHIZUKOに「ショーに一緒に出ないか」と誘われた。
彼女からこのような誘いを受ける事は、当時の私にとって特別な事であった。
なんと我々JAZZ BOOのネタに参加するというのだ。しかも、補強のメンバーを入れたいと言っている。
当時、都内クラブでもレギュラーを持つほど活躍していたダンスグループ「DATZ」のメンバーである。
当然、先輩に当たる面々だ。
彼女からこのような誘いを受ける事は、当時の私にとって特別な事であった。
なんと我々JAZZ BOOのネタに参加するというのだ。しかも、補強のメンバーを入れたいと言っている。
当時、都内クラブでもレギュラーを持つほど活躍していたダンスグループ「DATZ」のメンバーである。
当然、先輩に当たる面々だ。
CHIZUKOはあるルートからショーの仕事の依頼を受けたのだが、JUNGLE脱退後、グループらしいものは組んでおらず、我々とのコラボレーションが手っ取り早いと考えたのであろう。
とにかくこれは色々な意味で勉強になるし、幸運な事なので快諾した。
さて数日後に練習。リーサルの為にスタジオに入る。
この時出合ったのが、以後、私のダンス人生に最も大きく関与する人物であった。
当時ダンスチーム「DATZ」リーダーKAGI-BOこと鍵谷正氏だ。
この時は、もう1人のDATZメンバーEIJI氏も一緒に踊る事になっていた。
(JUNGLEのメンバーで私の地元の先輩であるEIJI氏とは別人である。)
この時出合ったのが、以後、私のダンス人生に最も大きく関与する人物であった。
当時ダンスチーム「DATZ」リーダーKAGI-BOこと鍵谷正氏だ。
この時は、もう1人のDATZメンバーEIJI氏も一緒に踊る事になっていた。
(JUNGLEのメンバーで私の地元の先輩であるEIJI氏とは別人である。)
リハーサルを始めるとあまりにものスキルの違いに驚愕!
中途半端に自信を持ってダンスショーを廻っていた我々は完全に打ちのめされた。
中途半端に自信を持ってダンスショーを廻っていた我々は完全に打ちのめされた。
彼らは、テレビやビデオで見てきたダンサー達とほぼ同等のスキルを有し、なんとも正確なダンスを踊っていた。
自分達の振り付けを踊ってもらうなど恐れ多い事であったが、彼らは快く振り写しを受け、あっという間に憶えてしまった。
自分達の振り付けを踊ってもらうなど恐れ多い事であったが、彼らは快く振り写しを受け、あっという間に憶えてしまった。
今まで、多くのダンサー達と接して来たと思っていた私は、とんでもない勘違いに気付かされた。
恐ろしいほどのテクニシャンが自分達のすぐ身近で活動していたわけだ。
私がそれまでに見てきた世界は狭すぎた。
恐ろしいほどのテクニシャンが自分達のすぐ身近で活動していたわけだ。
私がそれまでに見てきた世界は狭すぎた。
ショーの作りは、我々のネタがベースなのでJAZZ BOOがメインのCHIZUKO、KAGI-BO、EIJIがサブという形だが、明らかに我々が2軍、彼らが1軍にしか見えない状況。
しかし、負けず嫌いの私は虚勢を張って練習にも打ち込む。
今考えれば、どう見ても格下である私だが、そう見られる事が悔しかった。
自分だけではなく、チーム全体がそう見られたくなかったのだ。
今考えれば、どう見ても格下である私だが、そう見られる事が悔しかった。
自分だけではなく、チーム全体がそう見られたくなかったのだ。
だが、ビックリした事に彼らは一切先輩風を吹かせず、同等の仲間として我々に接してくれた。
勿論彼らから見て気になるダンスの基本やテクニック等は指摘を受けたが、これも親切丁寧に指導してくれたのだ。
ただその時の解決法だけではなく、その後の練習法まで自分達で実践しながら私達に本当に丁寧に説明してくれた。
押し付けではないその態度に、私はドンドン引き付けられ、リハーサルはスクールのようになってしまっていた。
彼らからの当時の指導法は、今でも私の中に大きく残っている。
勿論彼らから見て気になるダンスの基本やテクニック等は指摘を受けたが、これも親切丁寧に指導してくれたのだ。
ただその時の解決法だけではなく、その後の練習法まで自分達で実践しながら私達に本当に丁寧に説明してくれた。
押し付けではないその態度に、私はドンドン引き付けられ、リハーサルはスクールのようになってしまっていた。
彼らからの当時の指導法は、今でも私の中に大きく残っている。
そんな事をしているうちに、ショーネタは完成。
たった数時間のリハーサルであったが、我々にとってはとてつもなく充実した時間であった。
先輩に当たる面々と、ここまで本格的に踊る機会がなかった私達にとっては、全ての面で大きな経験をした。
たった数時間のリハーサルであったが、我々にとってはとてつもなく充実した時間であった。
先輩に当たる面々と、ここまで本格的に踊る機会がなかった私達にとっては、全ての面で大きな経験をした。
数日後の本番に向けて今回教わった練習法を続け、少しでも彼らに引けを取らないダンスが出来るように努力を重ねた。
実は今回(#65)と次回(#66)のエピソードは、前回(#64)、前々回(#63)の少し前の話。 過去を振り返りながら書いているので、記憶が曖昧になってる部分が多少ある為に、今回のような事になってしまいました。 しかし、前回の話と一ヶ月もずれていない期間の話なんでほぼ同時期という事で、読んでください。 書きながら少しずつ思い出して来て、前後逆になってる事に気付きました。スイマセン。
KAGI-BO
本文中でも紹介したように当時ダンスチーム「DATZ」(ダッツ)のリーダー。
1984年より、SAM氏、OUJI氏の元でブレイクダンスを始めた日本のストリートダンス創世期からのダンサーの1人。
後に、私とは数え切れない程の大きな接点を持つ事になるのだが、詳しくは今後紹介していく予定。
現在は東京目黒にてスタジオBoogiezon Utopiaのプロデューサーとして後進の育成や、ダンスイベントの企画、運営を手掛けている。
また、現在の東京においてパンキングの普及は彼の功績が大きい事は有名である。そして多分、私の大親友・・・?笑