私はクラブで先輩や同期のダンサー達との交流をしながら、スタジオ・ルゥでの練習を重ねていたが、次ぎへのステップを模索していた。
勿論、ココまである程度順調(?)にステップアップ出来ていたとも感じていたが、当時の私はまだまだ物足りなさを感じていた。
勿論、ココまである程度順調(?)にステップアップ出来ていたとも感じていたが、当時の私はまだまだ物足りなさを感じていた。
そんなある日、「DANCE DANCE DANCE」の番組の制作に携わっていたGQ-1という事務所から連絡が入った。
都内を中心に活躍するダンサーやラッパー達を集めての話し合いが行われるという事だった。
番組出演の経験や先輩ダンサー達とのつながりもあって、私のところにも連絡が入ったようだ。
内容については電話でも軽く触れたのだが、詳細はその集まりで説明するとの事・・・。
番組出演の経験や先輩ダンサー達とのつながりもあって、私のところにも連絡が入ったようだ。
内容については電話でも軽く触れたのだが、詳細はその集まりで説明するとの事・・・。
当時としては大変大きな計画が水面下で始まったのだ。
その会議はS.I.JOEで行われた。
営業時間外の早い時間帯にぞろぞろと東京、いや関東圏を代表するダンスチームやラップグループの代表達が集合した。
(あえてここではその面々の名は明らかにしないが、関東を中心に活躍するビッグネームが20人ほど集まった。)
営業時間外の早い時間帯にぞろぞろと東京、いや関東圏を代表するダンスチームやラップグループの代表達が集合した。
(あえてここではその面々の名は明らかにしないが、関東を中心に活躍するビッグネームが20人ほど集まった。)
発起人は、当時からアメリカで活躍していたズールーネイションのメンバーDJ YUTAKA氏、
日本全国でライブやDJプレイを行う当時の日本ヒップホップ業界の重鎮DJ マービン氏、
日本人初の米テレビ番組「SOUL TRAIN」出演者、ダンサーのJ-JAY氏、そして、GQ-1という事になっていた。
日本全国でライブやDJプレイを行う当時の日本ヒップホップ業界の重鎮DJ マービン氏、
日本人初の米テレビ番組「SOUL TRAIN」出演者、ダンサーのJ-JAY氏、そして、GQ-1という事になっていた。
話し合いの主旨はこうである。
ニュージャックスイングの流行により、ダンスやヒップホップがブームとなり番組も編成され、雑誌等でもヒップホップが取り上げられることが多くなった。
しかし、我々はこの流れに身を任せるだけではいけないのではないだろうか?
ブームというのはあくまでも流れ去るモノ。「流行」という言葉の通りだ。
今、ココまで盛り上がっているうちに日本にもヒップホップを文化の一つとして根付かせる動きが必要である。
ブレイクダンスの流行の二の舞を犯してはならない。
その為に、日本をリードすべき東京で活躍するヒップホッパー達による大きなイベントを行いたい。
普段、人間関係や派閥の関係で疎遠になっているダンサーやラッパー達が一同に介してビッグイベントを行えば、その影響力は計り知れないものだ。
小さなプライドや、細かいイザコザはこの際一時置いておいて、ヒップホップやダンスを愛する我々が動き出す時ではないだろうか?
しかし、我々はこの流れに身を任せるだけではいけないのではないだろうか?
ブームというのはあくまでも流れ去るモノ。「流行」という言葉の通りだ。
今、ココまで盛り上がっているうちに日本にもヒップホップを文化の一つとして根付かせる動きが必要である。
ブレイクダンスの流行の二の舞を犯してはならない。
その為に、日本をリードすべき東京で活躍するヒップホッパー達による大きなイベントを行いたい。
普段、人間関係や派閥の関係で疎遠になっているダンサーやラッパー達が一同に介してビッグイベントを行えば、その影響力は計り知れないものだ。
小さなプライドや、細かいイザコザはこの際一時置いておいて、ヒップホップやダンスを愛する我々が動き出す時ではないだろうか?
選挙演説のようにも聞こえるが、とにかく業界のビッグネームを一気に集めて大イベントを行い、ヒップホップやダンスムーブメントを根付かせるという目的だった。
当時は、S.I.JOEのイベントが非常に珍しく思われるほど、複数の有名ダンスグループやラッップグループがステージを同じにする事は無かった。
派閥や人間関係が現在よりもややこしい世界であったという事が大きな要因で、その壁もこの際取り払って皆で力を併せてブームをカルチャーに変えていくという事だ。
当時は、S.I.JOEのイベントが非常に珍しく思われるほど、複数の有名ダンスグループやラッップグループがステージを同じにする事は無かった。
派閥や人間関係が現在よりもややこしい世界であったという事が大きな要因で、その壁もこの際取り払って皆で力を併せてブームをカルチャーに変えていくという事だ。
クリアしなければならない問題も多少あったが、その場に集まった面々は全員賛同した。
メディア上では盛り上がっているように見えた業界だが、以前よりも勢いがなくなったクラブやディスコの現状を良く知るこの場への参加者達。
自分達の将来にも大きく関わるような話なので上記の判断は当然と言えば当然であろう。
自分達の将来にも大きく関わるような話なので上記の判断は当然と言えば当然であろう。
話がまとまってきた所で、合意した証に連絡網を兼ねて署名を行う事になった。
余談だがこの名簿、座った順に記入した為にとんでもない事になっていた・・・
余談だがこの名簿、座った順に記入した為にとんでもない事になっていた・・・
MEGAMIX / SAM
JAZZ BOO / GO
JUNGLE / OHJI
JAZZ BOO / GO
JUNGLE / OHJI
・・・・・ね、恐ろしいでしょ。この二人に挟まれちゃ(笑)
こうして動き出したプロジェクトは「Japan Groove Movement」と名付けらた。
色々な意味で伝説となるイベントは、この会議から約半年後に行われる事となる・・・。
GQ-1
ダンス業界の実力者で「DANCE DANCE DANCE」レギュラーのKING OF SOULのドン勝本氏が代表を務めたプロダクション。
MEGAMIXの前身、GQマシーンもこのプロダクションに籍を置いていた。
「DANCE DANCE DANCE」には特番時代から深く関わり、クラブシーンにも大きな影響力を持ったダンス業界の大きな力の一つであった。