DANCE HISTORY OF A MAN

0067_NHK

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Dance History Of A Man
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ショータイム出演が一段落着いてきた頃に南流石氏よりあるオファーが来た。
当時活躍していたアーティスト「PSY・S(サイズ)」のバックダンスだ。
なんと番組出演。オンエアはクリスマスイブ。しかもNHK
駆け出しダンサーの我々には超ビッグな話である。

 

番組は「ポップジャム」という当時国民的歌番組の一つのクリスマス特番。
失礼ながら正直私は、「PSY・S」というアーティストについての情報は皆無だったが、本格的芸能活動の第一歩に喜んだ。

 

ダンスの内容は、流石氏が振付けるパートもあるのだが、ほとんどが普段JAZZ BOOでやっているショーの振付を使用すれば良いとの事。
これは願ってもない事だ。
自分達のスタイルをしっかり表現しながらメジャーな舞台に立つ事が出来る。

 

この時のダンサーは流石組として流石氏とアシスタントの女性一名(チカちゃんだったかな・・・?)。
それと三宅裕司氏で有名なS.E.T(劇団スーパーエキセントリックシアター)より男性が4名。彼らは流石組のサポートメンバーでもあった。
そして我々JAZZ BOOよりササボー、SIVA、私の3人であった。

 

この時の事前リハーサルで使用した場所が、この後私達と深く関わる事になって行く下北沢の「スタジオ・ルゥ
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流石氏の旧友、現在でもCM振付を中心に活躍中の香瑠鼓こと五十嵐薫子氏のスタジオとして、この頃設立間もない施設だった。
当時ダンス用の貸しスタジオといえば、料金が1時間5000円が相場だったが、このスタジオは非常に良心的で3つのスタジオそれぞれの料金が1800円~3500円という破格の値段であった。
また、薫子氏の豊富な人脈により芸能関係の使用頻度も高い、いわゆる業界向けのスタジオで有名だったようだ。

 

さてリハーサルも順調に進み、ササボーのBMXのテクニックもコラボレイトしたバックダンスが出来上がり、本番当日に・・・。

 

NHKの正面玄関から控え室に向かう。
幼少時代に数回子供番組に出演経験があった私だが、当然のように当時とは全く違う景色に見える。

 

控え室では、初めてヘアメイクを経験・・・笑

 

そして、この時初めてメインのアーティストとも顔を合わせた。

 

ダンスに関しての緊張感はなかったが、以前出演した「DA DA」や「DANCE DANCE DANCE」とは全く違うスタジオの雰囲気に少し戸惑った。
リハ、カメリハと終え、本番も数テイク・・・。
初めての経験の私は全てフルアウトで、終了した時はヘロヘロ状態だった事を覚えている。

 

とにかく撮影は無事終了。オンエアも後日、ビデオでチェック。
おかしな話だが全てが順調に淡々と進んだ今回は、当時の私にとって可もなく不可もない内容だった・・・笑

 

しかし、いずれにせよ色々な意味で、新たな大きな経験をした出来事であった事には違いない。

 

そして、この同時期に別のオファーが我々に来ていた。
この時期、私が最も印象深いイベントへの出演依頼である・・・。

 

PSY・S

psys_chakaチャカ氏、松浦雅也氏によるJポップ・ツインユニット。(写真はボーカル担当チャカさん)
1985年CBSソニー(現Sony Music)よりアルバムデビュー。
オリジナルアルバム11枚、ライブアルバム1枚、ベストアルバム3枚、その他数枚の企画アルバムを発表。
1996年解散。

香瑠鼓

kaoruco「慎吾ママのおはロック」、郷ひろみのCM「ナンパオ源気」等、番組やCMなどで振付作品を数多く発表している。
これまでに350人以上のアーティストの振付け、400本以上のCM振付けを手掛ける。
振付けの受賞作品として、ウインクの「淋しい熱帯魚」や「踊るポンポコリン」がレコード大賞、木村拓哉出演のCM「JRA」シリーズでACC金賞を受賞している。
(因みに「JRA」シリーズの1つに私、GOも出演しています・・・笑)
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