とんでもないというか、素晴らしいニュースが飛び込んできた。
元々噂にはなっていたのだが、特番を2回放送したフジテレビの「DANCE DANCE DANCE」がレギュラー番組になると言う事だ。
「DA DA」に続いてダンス普及番組の登場。ダンスブームが最高潮になっている証だった。
「DA DA」に続いてダンス普及番組の登場。ダンスブームが最高潮になっている証だった。
勿論、前回の特番で惨敗した私は飛び付いた。
実は前回、スタジオ予選に行く前にS.I.JOEでの一次予選があり、これをクリアしてスタジオに出向いていた。
そういう関係もあり、JOEには早くからこの情報が入っており、周知のダンスバカな私には従業員が一番に教えてくれた。
早速、新生「JAZZ BOO」の始動だと意気込んだ。
そういう関係もあり、JOEには早くからこの情報が入っており、周知のダンスバカな私には従業員が一番に教えてくれた。
早速、新生「JAZZ BOO」の始動だと意気込んだ。
前回の失敗を糧にどのように闘うべきかを考える・・・。またもや、悩む事となる。
今回のオーディションはクラブでの一次予選は無く、スタジオでの予選も無い。
フジテレビのリハーサル室で、予選というかオーディションを行い、レギュラー番組らしく各週においしいキャラクターの出演者を割り振って行くようだ。
この時の私は何がおいしいとか、何をすればテレビ受けが良いとかよりも、とにかくダンサーとして認められる為には・・・と考えた。
今回のオーディションはクラブでの一次予選は無く、スタジオでの予選も無い。
フジテレビのリハーサル室で、予選というかオーディションを行い、レギュラー番組らしく各週においしいキャラクターの出演者を割り振って行くようだ。
この時の私は何がおいしいとか、何をすればテレビ受けが良いとかよりも、とにかくダンサーとして認められる為には・・・と考えた。
とりあえず、曲を決めるところから始めた。
当時、私が絶大な信頼を寄せていたS.I.JOEのDJの1人に相談したところ、デビューしたばかりの黒人男性3人組の楽曲を薦められた。
トニー・トニー・トニーの「FEELS GOOD」だ。
当時、私が絶大な信頼を寄せていたS.I.JOEのDJの1人に相談したところ、デビューしたばかりの黒人男性3人組の楽曲を薦められた。
トニー・トニー・トニーの「FEELS GOOD」だ。
当時のニュージャック・スイングの流れの中の一曲でポップなイメージの楽曲だった。
直ぐにこの曲で行く事に決まった。
直ぐにこの曲で行く事に決まった。
ダンスを一分半にまとめる事はこの頃の私には難しい事ではなかった。
と言うよりもこれ以上の間を持たせるスキルが乏しかったという方が正しい言い方だろう(笑)
悩みつつも、振付はニュージャックスイングと下手くそなロッキンでまとめる。
と言うよりもこれ以上の間を持たせるスキルが乏しかったという方が正しい言い方だろう(笑)
悩みつつも、振付はニュージャックスイングと下手くそなロッキンでまとめる。
衣装はこの頃「DA DA」にもゲスト出演して話題になっていたR&BアーティストHIROKOのバックダンサー達を参考にした。
後に定着したルーズなヒップホップファッションのはしりだ。
「ビックサイズのトレーナーがカッコいい!」とメンバーに力説して、探しまくり購入。
後に定着したルーズなヒップホップファッションのはしりだ。
「ビックサイズのトレーナーがカッコいい!」とメンバーに力説して、探しまくり購入。
後は、少しでも振付を揃える事に努力した。
WATARUに調べてもらい初めて深夜、スタジオを借りて反復練習とビデオチェックを繰り返した。
こうしてオーディションに備えた。
トニー・トニー・トニー
TONY TONI TONE’はラファエル・サディーク(lead vocals/bass/guitar/ keyboards他)、ドゥエイン・ウィギンス:(lead vocals/guitar)とティモシー・クリスチャン・ライリー(drums/piano/ organ他)の兄弟・従兄弟の3名からなるリアル・ソウル・グループ。彼らの楽曲でもっとも特徴的なのは、”今どき”でありながらも、どこかレトロ・ソウルの趣を感じさせるところで、その絶妙なバランス感覚はシーンの中でも抜きん出ており、音楽的センスの高さは細部にわたって垣間見ることができます。
デビュー当時は現在とは全く違う方向性の音楽をやっていた・・・笑ベスト盤「Greatest Hits」です。「FEELS GOOD」も聞く事が出来ます。
HIROKO
この当時、アメリカで生活していた日本人女性がいわゆるR&Bやヒップホップを一面に出してデビューした。
日本のメジャーシーンからの、このジャンルでの先駆者の1人である。
バックダンサーにはLAアンダーグラウンドで活躍する面々を揃えていた。
勿論我々はこのバックダンサー達に飛びつき、最新の振付やグルーブを盗もうと必死になっていた。
後にジャネット・ジャクソンやディスティニー・チャイルドのダンサーとして活躍する、私の友人でもあるロバート・ビンソンもメンバーの1人として踊っていた。