DANCE HISTORY OF A MAN

0020_消えたダンサー達

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Dance History Of A Man

ダンスを始めて約1年、1986年の初夏。中学3年生の私は受験勉強の為にしばらくストリートを離れる決心をした。
当時、私にとってダンスは趣味と言うか遊びと変わらないモノで、将来ダンサーとしてやって行くなど考えもしていなかったので当然の選択であった。
もちろん、この頃は我々が踊るようなダンスが職業として成り立つなど、誰も考えられなかったと思う。
正直、名残惜しい気持ちはあったが、数ヶ月の辛抱と、中学生なりに考えて原宿に足を運ぶのをガマンした。
それでも音楽だけは聴き続けていたが・・・。

第二次ベビーブームの時代に産まれた私にとって、受験は個人的にも色々と大変だったが、無事?終了。

1987年3月、数ヶ月間のブランクが出来てしまったが、受験勉強の呪縛から解き放たれて、原宿へ。
携帯電話もパソコンもない時代。原宿に足を運ばなくなってしばらくは数人の仲間と家の電話で連絡は取っていたが、この頃は全くやり取りもなかった。
それだけに、皆があの場所で元気にやっている姿を想像し、ワクワクしながら、いつもの場所に向かう。

そんな私は愕然とした・・・。

ストリートの景色が変わっている!

アレだけいたダンサー達の姿が見当たらないのである。自分のチームメイト達も・・・。
ダンサー以外のパフォーマー達は以前と変わらずストリートに溢れているのに。

そんな中、原宿口近辺で一つだけのグループが活動をしていた。「B-FRESH」だ。
東京のラップシーンの先駆者として業界内外で活躍し、以前より「ストリートの主」的な存在であった大先輩のグループだ。
しかしその時の私には、まるで衰退したヒップホップの残党であるような悲しい光景に見えた。

彼らの他に、行き場を失ったヒップホッパー達が数人周りを囲んでいた。
・・・その中に、あのWAKAを発見した!
私はすぐに彼の元に駆け寄って事情を聞いた。
「他のメンバー達は?他のダンスチームも無くなってない?」
「みんな、いなくなっちゃったよ。」

私がストリートに出ていた頃は、映画「フラッシュダンス」「ブレイクダンス」で盛り上がったブレイクダンスブームの終焉の時期にあったらしい。
80年代という時代は、流行も、文化も、音楽も、ファッションも、全てが目まぐるしく変化した時代だった。
80年代は時代の流れが速すぎた。
若者達が本気で夢中になっていた事も、気が付くと違うものへと平気でスライドしてしまう様な風潮だったのだ。
ブレイクダンスという物は、一番これに当てはまったモノではないだろうか。

WAKAの話によると、仕事を持ったり、地方の実家に帰ったり・・・、それでもしばらくは顔を出していたメンバーもいたらしいが、だんだんと数が減って・・・。
ほんの数ヶ月の間の出来事だった。誰もがダンスで食べていく事など、考えもしない時代の悲劇だった。

当時まだ、B-FRESHのメンバー達と繋がりも面識もなかった私は、その場の空気に慣れる事が出来なかったが、WAKAが居た事もあり、なんとなくその日のストリートをそこで過ごす。

その次の週もヒップホップの匂いを求めてその場に赴いた。

しかし多くの仲間を失った私は、その日を最後に再びストリートに立つ事はなかった・・・。

こうして、私のストリートダンサーとしての第一章は幕を下ろした。

B-FRESH

「5th Element」B-FRESHMC BELL(エムシー・ベル)氏とCAKE K(ケイク・ケイ)氏を中心に形成されるラップグループ。
この以前の時代よりダンサーは数多く活動していたが、ラップを主体とするグループは少なく、シーンを支える貴重な存在でもあった。
2004年、再活動でアルバム「5th Element」をリリース。業界の重鎮達のゲストで話題になった。
当時はバックダンスを元TOKYO B-BOYSのCRAZY-A氏と、後のちゃんねるずのチノとコウジで担当。
DJはDJ BEAT氏が担当していた。
因みにCAKE K氏は以前CRAZY-A氏と共に風見しんごのバックダンスチーム「エレクトリック・ウェーブ」に参加していた。BELL氏も横浜のダンサーとして有名な存在であった。